【考察】実力主義を問い直す なんで皆東大や医学部を目指さないの?
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才能のある人間というものは、人間関係に巨大なボーナスが常時付与されている。自信満々に振る舞っても、異常なファッションをしても、常識に外れた価値観を持っていても「あの人なら何かしら理由があるのだろう」「分析すれば自分の役立に立つのでは?」と根気と興味の両方をもって接して貰える
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年1月21日
そうした理由から、才能のある人間は「異常であっても受け入れられる」という人生経験を積み重ねることになる
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年1月21日
そして才能と統計を読む力が同居していない多くの才人は「皆ありのままの自分を出せば受け入れられる、勇気を出して!」というメッセージを発するようになってしまうのだ
才能がある人間が自信満々に振る舞うのは悪い事ではないし、能力のある人間が言うべきことを言わなければ大きな損失になる。
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年1月21日
一方で、凡人が足りない才能を気配りや礼儀作法で補うのが卑屈というわけでもない、それはそれで重要な仕事なのだ
具体的に言うと、脳が個人に与える報酬と、作業コストによる苦痛を比較し、苦痛の方が大きくなると人間はトレーニングを止めてしまう
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年1月22日
人間は「その行為から感じる苦痛」と「その成功から得られる喜び」のバランスが取れる場所までしか成長できない。それ以上は鬱になって死ぬ
例えばここにガリ勉オタクのA君が居るとしよう。彼は「勉強から受ける苦痛が少ない」という特性を持っているので勉強が得意、一方で「異性から否定される苦痛が大きい」という特性を持ってるので女の子に積極的に行けない
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年1月22日
人生や人格は脳の快楽と苦痛のパラメータに誘導されて形作られていく
あるいはパリピで馬鹿なB君は「勉強から受ける苦痛が大きい」からテストの成績が悪い、ところが「他人から否定されても苦痛を感じにくい」ので人間関係に積極的で友達が多い
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年1月22日
人格とは「感覚器の性能差の結果」であり原因ではない。故に人格を変えることは出来ないし、人格を安定させる事もできない
人格はあくまで「感覚器が受けた刺激の積み重ね」によって形成されるものであるから、人格を変動させようと思ったら、環境や人間関係を変えるか、肉体を変質させるしかない
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年1月22日
心が肉体を動かしているのではなく、環境からの刺激が肉体を通った結果として心が出来上がるのである
大体、実力主義で本当に人間のやる気が出るなら、なんで皆東大や京大を目指さないのかって話ですよ
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年1月22日
これほど公正で、高年収と社会的地位が確実に約束された競争なんて社会に出てから絶対無いって分かっていても、人は努力しないんですよ、実力主義なんて、所詮その程度のもんなの
才能があるほど、コミュニケートスキルにも適切にポイントを振る必要がある、これはソシャゲの高難易度コンテンツ攻略において、攻撃力だけではなくライフ最大値や状態異常対策を詰む必要が生まれるのと同じ事だ
— 砂鉄 (@satetu4401) 2019年1月22日
重要な仕事は才能一点突破できるほど甘い物ではない
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